7月8・9日に行われる藪原神社例大祭、木曽地方夏祭りの皮切りとして行われる祭りである。
この祭りが、いつ頃から始まったかその起源は正確には知られていない。
江戸期の天保年間(1830〜1843)に出来た「岨俗一隅」(そぞくいちぐう)と言う冊子がある。
(1841発刊)。宮田敏と言う人が書いたものであり、当時の「藪原宿」の人々が季節にあわせて一年間していた生活行事を、絵図と文章で都市民俗の一つとして説明している。その本の中に、現在に伝えられている藪原祭りについて当時の様子が記述されていて、祭りの内容的にはずいぶん違うところがあるが、「屋台」はほぼ現在使用している形と同様であり、忠実に受け継がれている事がうかがわれ、歴史・文化的にも奥深いものが感じられる。
更に古老の話では、薮原に疫病が流行して、その悪魔を払うために獅子を出し、氏神様の御加護を得ようとしたものだと伝えられている。藪原祭りは「厄払い」の祭りでもあり、地域に貢献されているものと考えられる。
祭り当日は、御神輿、上獅子、下獅子の三団体が藪原祭りを盛り立てる。
8日を宵祭り・9日を本祭りとし、未だにこの日取りを変えることなく行われている。
8日の晩には神社会館において、天狗による「天狗の舞」・木祖中学校女子生徒達による
「豊栄の舞」・「熊野の舞」・「浦安の舞」の神楽舞が行われる。
本祭り(9日)には天狗が四人加わり、一人が先導者になって、三人が続き悪魔払いと
御神輿の通過する道筋のお注連縄を切り開き、御神輿の無事通過に奉仕する。
御神輿は、「祝い唄」を唄いながら、町を練り歩き、疫病などの災難祓いをし
て町に再び災難や疫病が起こらないよう清めるのだと伝えられている。
宵祭り・本祭りとも「上獅子と呼ばれる雄獅子」と、「下獅子と呼ばれる
雌獅子」の二台の屋台が各戸のお祓いの獅子舞いを演じながら宿場内を巡る。
それぞれ豪快また優雅な舞いであり観衆を魅了する。
お囃子と屋台は「京都の祇園祭り」から来ていると伝えられ、お囃子は音色・
リズムが美しくテンポが心地良いことから聞く者・観る者を引き付ける。
また上獅子屋台・下獅子屋台・御神輿がそれぞれにすれ違う「寄け合い」は
互いに敬意を払い、厳粛かつ勇壮艶美に執り行われる。
雄獅子・雌獅子が年に一度「寄け合う」様子はロマンが感じられ、「恋の語
り合い」の場と思う事も出来る。
藪原祭りは雨が降る事が多く「雨降り祭り」とも呼ばれるが、どんな天候
であろうと朝から祭り一色に染められ、「お神酒所」をはじめ沿道の家では、
見知らぬ人達にもお神酒が振る舞われる程、家庭的な雰囲気を醸し出している。
また地元の若い衆には「藪原祭り」を盛り上げる為に都会へは行かず地元に残
り、情熱をもって祭礼参加をしている若者も存在する程の魅力ある祭りである。